このブログは先日6年ぶりに更新を再開したわけですが、拙者、ブログを放置していた6年間のうちコロナが始まる前までは全国の祭りを巡っておりました。
全40くらいの祭りに約50回行ったので、今後は祭りの記事もたくさん上げていきたい所存。ということで今回はとある男根祭りをご紹介します。
全40の祭りのうち記念すべき1発目の祭りとして紹介するのは………
茨城の道鏡様祭りでございます!!!
こんなこと言ったら怒られるかも知れんけど、正直この祭りって全40祭りのうち1発目に取り上げるような祭りじゃないのよね……めっっっっちゃ地味なので(笑)
もっと世間は男根神輿ワッショイ!パーリータイムだ!!みたいなやつを求めてるってことは分かりつつ、今まで巡った祭りの中でも確実に三本の指に入るくらい好きな祭りなのでとにかく早く紹介したくて…!!(早く紹介したいという気持ちがあるならそもそもブログを6年も休むな、という正論はやめてください)
ちなみにこの記事は2019年に「Roadside’s Weekly」という有料メールマガジンに掲載したものを簡略化&加筆修正ふざけ3割増しにしたものでございます!
なので結構内容がちゃんとしてるんだけど、2022年現在、既に祭りの記憶が薄れつつあるので今後はどれくらいちゃんと書けるのか…乞うご期待。
さて、道鏡様祭りを訪れたのは2018年の師走。
小さな公民館で朝9時から祭りの準備は始まった。
まず最初に「道鏡」について説明しておこう。
道鏡とは奈良時代の僧侶・弓削道鏡のことで、「女帝・孝謙天皇に寵愛され、自分が天皇になろうと画策して宇佐八幡宮神託事件を起こした僧侶」として教科書にも載っている。
教科書に載っている道鏡の情報はこれくらいでそんなに目立つキャラクターではない。
だがしかし、実は女帝に取り入ったということから
「道鏡と孝謙天皇は性的関係にあった、そして女帝を魅了していたのはきっと道鏡が巨根だったからに違いない」
……という「道鏡巨根伝説」がまことしやかに伝えられているのである……!
その巨根伝説は、平安時代の仏教説話集『日本霊異記』に「道鏡の裳の中には重りがぶら下がっている。いきり立ったら恐れ多いぞ」と書かれ(くだらね〜〜〜)、
江戸時代にも「道鏡は 座ると膝が 三つでき」という川柳が読まれるなど脈々と語り継がれてきた。
挙げ句の果てには群馬と栃木の間にある峠を越えようとした道鏡はあまりに長くて重いその男根が邪魔だったので切り落としたらしい。
え、なんで????
いや絶対切り落としたほうが痛いて。我慢して男根担ぐなり何なりして峠超えろよ。
そんなもう巨根とかいうレベルじゃない、もはや男根に支配された化物と化した道鏡。(もちろん全部「伝説」です)
しかしそのキャラの立ち方からか民間では絶大な人気を集めていたらしく、各地に道鏡に関する信仰が残っている。
そして今回の道鏡様祭りもそんな道鏡の男根にあやかった(?)祭りなのであります。
この祭りのメインは、その年の担当の家がオワケノミヤという祭壇のような小さい社と「道鏡様」を1年守り、次の年の担当の家に渡していくというものであるらしい。
まずは若手が大根で男根を作る作業から祭りはスタートする。
神様に供える分と、子宝を願う人に渡す分らしい。先端にニンジンが埋め込まれ、陰毛まで再現されている。大根で男根はあるあるだけど、ここまで丁寧な仕事は珍しいかも。
その作業を眺めつつ村の人と喋っていたら、「ところでドウキョウって何なんだ?」と聞かれた。
なんとこの村の人たちはドウキョウが何なのか知らず、更に何のために何をやっているのか分からずに祭りを行ってるらしい。オモロすぎるだろ。道鏡の巨根伝説を知らないのに巨根の祭りを行っているの本当笑う。子供の時から巨根を見ていると疑問を抱かなくなるんだな…
そして今度はほかの村人たちが公民館の軒下に下がっていた菰(こも)の包みを下ろしてきた。
そしてそれを開くと
ボロン
まじで、急に ボロン って男根出てきた。
ボロン感がすごすぎて爆笑してしまった。
村人もなんかテキトーにボロンって出すし、突然すぎてシュールなのよ。写真じゃ伝わらなすぎて無念すぎる。
だがしかし、なんとこのテキトーにボロンと出てきた男根こそがこの祭りのメインである「道鏡様」なのだという。
もはや巨根の僧侶の化物とかですらなく巨根そのものになってしまった道鏡。
なんなら切り落とされた男根のほうが人格を持ってしまった道鏡。
男根だけが自分の名前を持って独り歩きするってつらくないですか…?男根にしかアイデンティティがないって、どうなんですかね世の男性諸君…??と思いつつ見守っていると、今度はその道鏡こと男根を藁の中に刺して何やら形を作り始めた。
道鏡様を縛り上げてくくりつけていく。
最後に武士っぽい顔をつけて完成である。
んで、この完成した藁の人形は「サルタヒコ」と呼ばれているらしい。
って、え、ちょっと待ってください、サルタヒコ、ってみんなご存知だと思うけど日本神話に出てくる神様ですよ????
つまりこれ、サルタヒコ(神)の男根が道鏡(僧)ってことになってるんですが、
どういう神仏習合????
確かにサルタヒコは裸になって踊ったことで有名なアメノウズメという女神とふたりセットで神話に登場することから、しばしば性的な象徴として民間の信仰対象となっている…………んだけど、だからってサルタヒコの男根が道鏡になるのはまさしくもう神も仏もないトンデモハイブリッド性信仰である。面白すぎるだろ。
そもそもこのサルタヒコ、見た目はどう見てもサルタヒコ的ではなく村の入り口などに祀られるショウキサマとかカシマサマとか呼ばれるタイプの厄除けの藁人形(人形道祖神)に近い。どう考えても色んなものが混ざりまくっている。
しかし村人は当然何も疑問を持ってないし、ただただ淡々とサルタヒコ feat.道鏡を作っているのである。
道鏡とサルタヒコはきっと困惑していることであろう……自分の男根だけ知らん僧侶になるって、どんな気分なんですかね世の男性諸君…???
そんなこんなしてるうちに昼ごはんができたからと公民館の中に呼んでもらった。
地元名産のワカサギや、野菜の天ぷら、煮豆、しじみ汁など大量のごちそうとともに山盛りのご飯をいただく。このメニューは祭りで決められたもので、必ずこれを食べるらしい。四つ足動物は食べてはならない、という禁忌もあるらしい。
祭りを巡っているとなかなか昼食を食べるタイミングが見つからず、食べそびれることが非常に多かった。なのでこんなにたくさんの料理(しかもめちゃウマ)が食べられるなんてサイコーでした。間違いなく「一番満腹になった祭りNo.1」ですね!!
昼食のあとはまた男根大根を祭壇であるオワケノミヤに供えたり、注連縄を作ったりと祭りの作業が続く。
準備を3時間くらい行った頃だろうか。
「ご飯ができたので上がってください〜!」
えっ
嘘だろ、さっきたらふく食ったぞ????
困惑しながら再び公民館に戻ると、3時間前と全く同じメニューが同じくらい大量に用意されていた。
え、デジャヴ………?タイムリープしてる……????
と思っているのは私だけのようで、みんなさっきと同じテンションでめっちゃ食ってる。
なんでも昔はもっと祭りに時間がかかったのでふつうに昼と夜に食べていたらしいのだが、全体的に祭りが簡略化して短くなったために自然と昼食と夕食の感覚が短くなってしまったのだという。昔は若い衆がしめ縄を作ってるとベテラン勢が「そんなんじゃ駄目だ!」とイチャモンを付けてきてしめ縄をぶった切り、またイチから作り直す…なんていう無駄な作業をして時間が伸び伸びになっていたらしい…クソダリィなそれ…
祭りの時間が短くなったなら夕食は食べなくてもいいのでは…?とも思ってしまうのだが(そもそも夕食といっても15:30である)、祭りで定められたことだから変えられないらしい。祭りのルールの強さすごい。
満腹だったけどとりあえずルールなので食べた。山盛りの白米だけは減らしてもらった。
道鏡様祭りさん、自身の持つ「一番満腹になる祭りNo.1」の記録を数時間で更新しましたおめでとうございます。
さて夕飯こと3時のおやつを食べ終わってあたりが暗くなってきてから祭りの本番が始まる。
男たちがサルタヒコfeat.道鏡を担いで50mほど離れた超・近所の鹿島神社に連れて行く。
ちゃんと鳥居もくぐらせてあげて、神社に到着。
神社の中には神主さんとスーツ姿の今年の祭り担当の家族のみなさんがいて、お祓いが行われている。
そして奥の本殿が御開帳すると中にはもうひとつの男根、すなわりもうひとり(?)の道鏡様がいた。道鏡様はふたりいるらしい。ひとりは本殿に祀られ、ひとりは菰からボロンと雑に出されるという扱いの差(笑)
そしてその横にマスコットキャラクターのように置かれるサルタヒコfeat.道鏡。なんだか奇妙な光景である。まあ今日1日奇妙な光景しか見てないけど……。
あっという間に神事は終わり、ふたたび来た道を戻るサルタヒコfeat.道鏡。夜道を行く男根があまりにトンチキ光景。
正直神社の横にただ置かれてただけで、サルタヒコfeat.道鏡は何にも活躍してない。行って戻るだけのマッドマックス怒りのデスロード状態(50m)である。
公民館に戻ると、すぐにサルタヒコの解体作業が始まった。余韻もクソもねえ。
頑張って作ったのにあっという間に分解されるサルタヒコ。一日一緒にいたから愛着沸いてきてたのにつら。
過去の道鏡祭りの報告書によると解体した後に男根を女性にこすりつけたりしてワーキャーしたらしいが、もうそんなノリはなくなっていた。最後までテンションが特に上がることもなく、淡々と作業が行われる。誰も特に男根に興味がない(笑)。多分この場で男根に興味あるの、もはや私だけだっただろうな。
そして道鏡はふたたび菰に包まれて軒下に戻された。1年後の祭りまでふたたびの眠りにつく道鏡。また1年後道鏡とサルタヒコは出会うんだね…織り姫と彦星みたい…男同士だけど…というか片方は男根だけど……。
道鏡が菰に包まれるのに気を取られていたら、気づいたときにはサルタヒコの姿が見えなくなっていた。
村人に聞くと、なんとサルタヒコはふたたび神社に連れて行かれ、土台の部分以外は神社の裏手に打ち捨てられたという。ひでえ!!!よりにもよって神社の裏手に捨てるって完全に死体遺棄じゃねえか。
というか道鏡との扱いの差が酷い。結局体はどうでも良くて大事なのは男根だけなんですね……どう思いますか、世の男性諸君…………(3回目)。
そして最後は今年の担当の当家の人たちを胴上げ。
これもふつうの胴上げではなく、当家の人はいったん公民館の中に入り、何故かわざわざ窓から外へと担ぎ出されて胴上げされる。
そして当家の人は胴上げされて空中にいる間に高速で手をパチパチパチ!と叩く。そしてまた窓の中に戻される。
なんでわざわざいったん中に入るのかまじで意味がわからんし、おじさんたちが意味もなくモミクチャになっててめちゃくちゃシュールすぎる。おじさんが担がれて引きずり出されてモミクチャになるのって本当に普段見ることないので(そりゃそうだ)、想像の倍面白いです。写真では伝え切れていない気がしますが…。
そしてなんでこんなやり方するんですか??って聞いたらやっぱり「わからん」と言われた(笑)この祭り、最初から最後までなんもわからん(笑)
手を叩くのもなんでやるかわからんそうな。何のために何をやってるかわからんけどやる、それが祭りなんだなぁ…としみじみ思った。
今書きながら思い出してもめちゃくちゃ面白いな…。今後も何もわからないままずっと続けてほしい、噛めば噛むほど味が出るようなヘンテコな祭りでした。
(2018年12月)
参考文献:筑波学院大学民俗ゼミナール『牛渡とその周辺の民俗』
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