読谷村立歴史民俗資料館で読谷村の民俗を学んできたよ!
並んでいるのは沖縄の骨壺「厨子甕」。
今回沖縄に行って改めて感じたのは、「沖縄の文化は内地とは全くの別物」ということ。
お墓の形ひとつを取っても、内地の人間にはとても珍しいものに感じる。
@wikipediaより
これは沖縄でとてもよく見られるお墓の形「亀甲墓」。
道の横に巨大なこの形の墓がいくつも並んでいるのを初めて見たときは本当に驚いたのだが、別に遺跡でもなんでもないただの墓であるらしい。
こんな沖縄の文化を少し勉強する為にうってつけなのが「読谷村立歴史民俗資料館」。
ここには様々な民俗資料が展示してあるんだけど、私の目当ては「亀甲墓と装具」「信仰・魔除け」のコーナー。
館内には亀甲墓が再現されており、その中を覗くことが出来る。
手前にある白い箱が棺、後ろにある壺が厨子甕と呼ばれる骨壺だ。
解説によると沖縄では元々風葬が主流であったらしく、ここ読谷村でも昭和34年までその伝統的な風葬が行われていたという。
風葬と聞いて「え!?野ざらし!?」と思ってしまったのだが、主に行われていた風葬は「遺体をそのまま棺に安置し、自然に風化するのを待つ」というものだったそう。
先ほどの亀甲墓内の棺にまず遺体を納めて数年待ち、白骨化したあとに親族が再び取り出して洗骨したのちに、厨子甕に納め直していたらしい。
一番初めに乗せた写真を見ても判ると思うが、厨子甕はかなりデザイン性の高いものが多い。
真ん中の壺型のものは古い形で、オシャレな屋形型は18世紀頃から作られるようになったんだって。
厨子甕の正面に開いている小さい穴は、魂が出入りする為のものらしい。
それにしてもそんな埋葬法がつい50年前まで行われていたというのにはかなりビックリしてしまった。
風化するのを待つといってもおそらく完全に白骨化する確立は100%じゃないだろうし、棺と墓の扉によって閉鎖された空間では蛆なども発生しにくいだろうし・・・それを親族自ら洗骨するというのは、なかなかカルチャーショックな事実だ。
それとも高温な沖縄では結構簡単に白骨化するものなのだろうか?ああ、気になる・・・。
資料館の学芸員の方の話だと「基本的に棺から骨を取り出して洗骨するタイミングは、次の遺体が棺に入る時」らしいのだが、なんだかそれも曖昧な決め方ではなかろうか。面白いなあ沖縄。
そしてなぜ読谷村で風葬が行われなくなったのかというと、昭和34年に火葬場ができたのがきっかけだという。
これは遺体を墓まで運ぶ龕(ガン)という道具であるが、これもまた風葬が行われなくなったことにより使われなくなったそうな。
衛生面の問題とかもあるんだろうけど、何にせよ文化がなくなっていくのは少し寂しいですね!
さて続いて、沖縄の信仰と魔よけのコーナーへ。
ここでは数多くの沖縄の魔よけグッズが展示されている。
左端にある石で出来た「石敢當」は道の分かれ目に置かれる魔よけであり、街の中でもあちらこちらにあるのが確認できた。
内地にも道の分かれ目に置かれる道祖神はあるが、石敢當は中国から来た文化であり全くの別物であろう。
殆どのものはやはり中国由来のもので、沖縄の文化は日本よりむしろ中国に近いものだと改めて感じた。
特に面白いと思ったのはコレ。
これ自体はイシダニというサンゴのかけらで珍しくも何ともないのだが、字長浜という地域で葬式の晩に屋内の魔払いのために使われていたものらしい。
この魔払いは若者二人が行う行事であり、前の人が棒きれで柱打ちながら「ウネウネ」と唱え、後ろの人がイシダニを撒きながら「クネクネ」と言い7回廻るのだという。
面白い・・・面白いぞ沖縄・・・。
他にも興味深い民俗資料がたくさん展示してあったので、沖縄民俗学をすこ~しかじるのにはとても最適でした。
文献資料室では文献を読むことも出来るらしいから、いつか読みにも行きたいなあ~。
ちなみに隣には世界遺産の座味喜城跡がある。
中城城と比べるとかなりこぢんまりとしているが、やっぱり沖縄の城跡はかっこいいぜ!
(訪問日:2013年9月)
[読谷村立歴史民俗資料館・美術館]
珍度:60%
オススメ度:80%
住所:沖縄県読谷村座喜味708-4
電話:098-958-3141
時間:9:00-17:00
料金:大人\200,小中高生\50
駐車場あり
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