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【沖縄】神の島で奇祭「イザイホー」を学ぶ 久高島

沖縄珍スポツアー2013もとうとう最終日。
島が丸ごとパワースポットと言われている「久高島」へ渡った!

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久高島は安座真港からフェリーで15分程度の所にある島。本島からも充分日帰りで行ける距離だ。

何故今回私が久高島へ渡ったのかと言うと、この島に残る伝統的なお祭り「イザイホー」にとても好奇心をかき立てられたからである。

このイザイホーの興味深いところは、祭り自体が12年に1度しか行われないということだ。
しかもここ2回はある理由により祭りを執り行うことができておらず、最後に祭りが行われたのは1978年であるという。

ある理由については後で書くとして、そんな存続が危ぶまれる祭りのことを知りたいと思い、自ら久高島へ行ってみることとした。

久高島は美しい自然が残りマリンスポーツも楽しめる島として観光地の機能も果たしているが、我々の目的はそんなものではなく島唯一の宿泊施設「久高島宿泊交流館」である。

ここにイザイホーを学ぶ資料館が併設されていると聞き、まずここを最初の目的地と定めた。

島内の地図はフェリー乗り場で貰えるので心配不要。
島に到着すると、まずは移動のために自転車を借りなければならない。
これがわたしにとっては最初の難関である・・・。

なんと言っても小学生時代以来自転車というものには殆ど縁がなく、最後に乗ったのもいつかよく判らんというザマなのだ。

久高島へ行くと決めてからずっとこのことが心配で心配でたまらなかったでござる。

フェリー降り場からすぐのレンタル自転車ショップで自転車を借り、とにかく漕ぎ出した。

のろのろふらふらしながらも、

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の、乗れた!!!
乗れたよーーーーウワアアア

まずは最初の関門クリアである。

「わ・・・わたしのことはここへ置いて先に行け・・・!」
と言う結果にならなくてヨカッター!

さて、自転車をエイコラと漕ぐこと数分、早速今回のメイン「久高島宿泊交流館」に到着した。
ここで未知なる奇祭・イザイホーを学ぶぞとわくわく。

余談ですが、わたしはいつもどこかへ行くときに事前調査というものを殆どしません。
行ってから興味を持ち、帰宅してから調査することが多いのです。

民俗学者は事前調査タイプと事後調査タイプの2パターンに分かれるという話を聞いたことがあるけど、わたしは完全に後者だな。っていうか基本が怠け者だから、行く前に調査をするなんていうマメなことができないだけなんだけど・・・^^^

そんな感じなので、今回イザイホーについても殆ど本などで調べることはなく、現地で直に学ぶぞ!と意気込んでいたのであった。

交流館に入館して、迷わずイザイホー資料室へ向かう。
資料室には多くのイザイホーの写真が展示してあり、その祭りの一部始終を写真で学ぶことができるのである。

概要解説があったので、まずは概要からしっかり読むことにした。
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・イザイボウの意義
久高島では島に永住した最初の祖先はシラタルーとファナガシーだったと伝えられている。
この二人が結ばれて1男3女が生まれ、長男マニウシは外間根人、長女ウトゥダルは外間ノロ、三女タルガナーは久高ノロの祖だと言われている。

・・・ハイ??

外間根人とは?外間ノロとは?久高ノロとは・・・?

なにこれ、フツーに書いてあるけどみんな知ってる常識なの・・・?
・・・・・・。

しまったー!!!事前調査してくればよかったーーーー!!!!

と思ってももう遅いので、とりあえず外間根人、外間ノロ、久高ノロの話はシカトして先に進むこととする。

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・ノロを始め(シカトしたけど早速出てきたノロ!)島で生まれた30歳以上70歳までの女性はミコとしてナンチュ(30歳~41歳)、ヤジク(42歳~53歳)、ウンサク(54歳~60歳)、タムト(61歳~70歳)の四段階に組織されるが一般の女性からミコとして神女にタマガエー(魂替え)する儀式がイザイホウである。

エーーーン沖縄言葉ばっかでもう意味わかんないヨーーー(号泣)

かなり難解ではあるが、まあ噛み砕くと島に生まれた女性達がミコになる為の儀式がイザイホーであるということらしい。

30歳から70歳までのミコの女性たちはそれぞれ年齢別に名称が分けられており、若い順からナンチュ、ヤジク、ウンサク、タムトというようだ。

ここまでは我々も自力でどうにか頑張ったが、イザイホーの一部始終を展示した写真パネルの一枚目の解説

「イザイホー前日までの取り組み:旧11月15日に行われるイザイホー、ヤジク、ナンチュがハナグミと百円を外間ノロ家に届けるハカイメーや、外間、久高の両ノロ家などで行われるウグヮンダティ、ウタキマーイの儀式が一ヶ月前から行われる」

という文章を読み本気で白目を剥きたくなった。

一応日本語の文章でありながらこんなに意味不明なことがあるだろうか・・・。
以前紹介した韓国の日本語メニューを思わず思い出してしまう。

さすがにこれ以上自分で解読するのは限界だと感じ、交流館のスタッフのお兄さんに頼んで解説をしてもらうことにした。

普段解説などは行われていないようだが、「基礎的な言葉だけでいいので・・・!」とお願いしたら引き受けてくれました。ありがたい。

お兄さんから教わったことと帰宅後に調べたことを以下に記しますよ!

まずこのイザイホーがどんな祭りかというと、前述した通りこの久高島の女性がミコになる為の儀式だという。なんと久高島の女性は全員が生まれながらにしてミコになるものであると決まっているのだそうだ。

そして先ほど書いた30歳から70歳の4段階のミコのうち最も若いグループ・ナンチュに属するミコが新しく生まれる儀式こそがイザイホーなのだ。

だからナンチュは30歳~41歳で、イザイホーも12年に一回なのである。

冒頭に記したようにこのイザイホーは1978年を最後に2回行われていない。
これは島の過疎化が進み、ナンチュになれる女性がいなかったからなのである。ナンチュになれるのは島で生まれ育った女性のみであり、それに該当する女性がいない限りイザイホーは行われないのだ。

また先ほどシカトを決め込むことにした外間根人、外間ノロ、久高ノロだが、まず外間(ほかま)と久高というのは久高島の伝統的な名字だという。久高島は元々外間さんと久高さんが住んでいた土地であり、現在もミコ達は形式的に外間と久高に分かれているそうだ。

ノロ・根人というのはイザイホーなどの祭祀を司る役職の名前で、いわばたくさんいるミコ達のトップの人の名称だという。ノロは女性、根人は男性で、これは世襲制でありもちろん現在もその役職は引き継がれ続けているようだ。

そしてこのイザイホーは一ヶ月前から準備が始められ、旧暦の11月15日から4日間に渡って執り行われるのである。

先ほど書いた超絶カオスな文章「イザイホー前日までの取り組み:旧11月15日に行われるイザイホー、ヤジク、ナンチュがハナグミと百円を外間ノロ家に届けるハカイメーや、外間、久高の両ノロ家などで行われるウグヮンダティ、ウタキマーイの儀式が一ヶ月前から行われる」は

「米を外間ノロ家に届ける量り米(ハカイメー)という儀式や、外間、久高の両ノロ家で祭祀の無事を祈願する御願立て(ウグヮンディ)をしたり、礼拝所をお参りする御嶽廻り(ウタキマーイ)をしたりする」

ということらしい。

こんな難解な文章、分かるわけねーーー!!!

というか観光客なんぞには分からせようとも思っていない感がぷんぷんしますよね。その閉塞的な感じ、大好きです。

そして一ヶ月の準備の後イザイホー本番に移るわけだが、これは実に多くの手順がありいちいち紹介していたらとんでもない長文になるし誰も読んでくれないだろうから掻い摘んでお伝えしたい。

イザイホー初日は、予め作っておいた籠もり場「神アシャギ」へ新人ミコであるナンチュが籠もる夕神遊び(ユクネーガミアシビ)という儀式が行われる。

二日目の儀式は髪垂遊び(ハシラダレアシビ)といい、洗い髪のナンチュたちが神アシャギから出てきて神歌「ティルル」を歌いながら踊るものである。

三日目はまず赤白黄の紙で作った花を頭に挿す花挿し遊び(ハナサシアシビ)が行われる。ナンチュはここで洗い髪からきちんと髪を結い上げるという。神アシャギでの籠もりが終わり、俗人からミコへ魂替え(タマガエー)したということである。

そのあと久高根人がミコたちの額と頬に朱印つけていく朱付け遊び(シューティキアシビ)が行われる。ノロから順番に朱印を付けられていき、ナンチュは根人からではなくノロから押印を受ける。

四日目は最終日で、まずアリクヤーという綱引きが行われる。
綱引きと言っても我々の知っている運動会の綱引きとは全く違うもので、島民全員が集まって一本の綱を両側から持ち、船を漕ぐような所作を繰り返すのだという。これによってニライカラナイから神を迎えるとされているらしい。

その後、御家廻り(グゥキマーイ)が行われる。三日間の籠もりを終えたナンチュが外間と久高に分かれて各家を廻る。

それが終わると再び集合し、神酒を入れた桶の廻りを歌いながら廻る桶廻り(ウケマーイ)が行われる。これがイザイホーのフィナーレである。

このようにして30~41歳のナンチュ達が新しく生まれ、イザイホーは終わりを迎えるのである。

こんなに壮大で伝統が色濃く残る祭りが今消えつつあるというのはとても残念ではあるが、無理に形を変えてまで残す必要はないという島の人々の意見も非常に納得できる。

実は来年2014年はイザイホーが行われるべき年なのだ。

だが例によって島にはナンチュにふさわしい女性はおらず、相変わらずイザイホーは存続の危機に立たされている。

しかし交流館のお兄さんによると、島を出た女性たちに「ミコになれ」という託宣が下ったという話がちらほら聞こえるらしく、そういった人たちをナンチュとして迎えることを許可するかどうかといった議論も生まれているらしい。

これは島の人々にとって非常に難しい問題であると思うが、部外者としては是非ともイザイホーを行って欲しいというのが本音である。平成のナンチュを見てみたいものだ。

いずれにせよ2014年にイザイホーが行われるか否かというというのは今回久高島を訪れたことにより実に興味深い楽しみのひとつとなった。イザイホーを実際に観に行くことは難しいと思うが、決断のときまで密かに見守りたい。

ところで、交流館の解説パネルで非常に気になる部分があった。

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ウンサクの入ったバケツ

あれっウンサクって54歳~60歳のミコのグループの名前でしたよ、ね・・・!?

熟女をバケツに入れてどうする気よ!!!

更に

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桶の中のウンサクをシタラルーに供える。次に神女、神人、見学者に配る。
ウンサク、配っちゃうの!?!?やめてよ勝手に配らないでよ!!!

あまりに気になったので交流館のお兄さんに問いただしたところ、お兄さんも「こ、これは一体・・・?」となっていたwww

その後文献を読んでいて判明したのだが、ウンサクというのは御神酒のことであるらしい。

そもそもミコのほうのウンサクは御神酒を司る役職であるようで、御神酒がウンサクだからそれの担当のミコもウンサク・・・ってことらしい。もう、ややこしいな!!っていうか同じ名称で呼ぶのやめようよ!

そんな感じでとにかく何もかもがややこしいイザイホーのお勉強を終え、我々は交流館を後にした。

すっかりイザイホー話が長くなってしまったが、久高島訪問録としてはまだ一カ所目のスポットである。

思いの外イザイホーの勉強に時間を取られてしまったので、その次はとりあえず島の先端を目指すことにした。

久高島は南北に長細い形をしており、島の中央に長い一本道が通っている。
フェリー発着所やレンタサイクル、交流館などは南に集中しており、そこから島の最北端までは自転車で20分程度である。

この最北端はガベール岬と呼ばれ、琉球神話において琉球を作ったとされている神・アマミキヨが降り立った場所とされているらしい。

まっすぐな道をひたすら走ってガベール岬を目指す途中、フボー御嶽という霊地の看板が見えたので立ち寄ってみた。

ここは元々男子禁制の霊地で、その霊位は久高島のみならず沖縄全土でも最高級とされてきたらしい。現在は「なんびとたりとも出入りは禁止」とのことなので、手前のところまで行って写真を撮りました。

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わたしは霊感とかも全くなく、巷で人気のパワースポットに行ってもまっったくと言って良いほどな~~んにも感じないのですが、ここに近づくと本当にパワーというか”気”のようなものを身体にズッシリと感じたので本当に驚いた。珍寺に限らず割と多くの神社仏閣に訪問してはいるけど、こんな経験はほぼ初めて。

「絶対に入ってはいけない」というのが嫌と言うほど伝わってきました。

最強霊地のフボー御嶽を通り過ぎ、更に北上していく。

地図にはフボー御嶽の他にもいくつか霊地が書かれていたのだが、あとで知った情報によるとこれらは殆ど看板なども掲げられていないため注意して探さないと見つけにくいらしい。

次に行くときは是非とも制覇したいと思っております。

苦手な自転車を漕ぐこと十数分、ガベール岬が現れました!!
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この海のなんと美しいことか!

アマミキヨが降り立ったという伝説が残るのも納得できる、非常に美しい海岸でございます。
様々な色味の青が重なってキラキラと反射する光景は、いつまでも見ていられそう。
ここで海を眺めながらぼんやりと一日を過ごしたいのは山々なのですが、

実はこの時点でわたしは危機的状況に陥っていたのである・・・

このえげつないほどの酷暑のせいで、手持ちの水が既に底をつきかけていたのだ・・・。

完全に自転車移動と沖縄の夏を甘く見ていたわたしは、ガベール岬までの片道で500mlの水をほぼ全て飲み干してしまっていた。あかん・・・これはあかん・・・。

もちろん、まわりに自動販売機などはなく、手近な水といったら海水しかない。

わたしの目の前に死が迫っていた。

美しい海と自然を殆ど堪能することなく、わたしは自転車を漕ぎ出した。
水が底をつきた今、あとは時間との勝負である。

先ほどまで乗れるか乗れないかというレベルだった自転車を競輪選手の如き勢いで漕ぎまくり、ひたすら島の反対側にある交流館を目指す。

明らかに身体から水分が失われ吐き気が襲ってきているのに気づいていたが、ここで気力を失ったら負ける!久高島に負けるぞ!

震えて力が入らない手でハンドルを握りしめ、全力を脚に注ぎ込む。

老人達がひなたぼっこをするほのぼのとした日本の原風景を、鬼の形相で通り過ぎていく。

本当はゆったりと自転車を漕ぎながら久高島の住人に挨拶のひとつでもしたかった…!

だが今は挨拶などしている場合ではない!

そんなことをしようものなら、死出の旅路への挨拶となるぞ!!
ここには沖縄の島時間などないのだ!
スローライフなどないのだ!

ここは生と死が共存する島・久高島である!!!!

と、ほぼ限界に達しかけたときやっと交流館に到着。

手をガタガタ震わせながら、交流館の自販機で買ったスポーツドリンク1リットルを飲み干し、頭から水を被りまくった。そのあと温水シャワーも浴び、濡れ鼠のままいること数十分、一時はどうなることかと思ったが島を出発する頃にはすっかり快復したのであった。

そんなこんなで久高島の神様の力か、どうにか生還することに成功。

まだまだ久高島には観るところも沢山あるし、どうやら車でスポットを廻ってくれるツアーのようなものもあるみたいなので、また絶対に訪れたいと思っている。

次回は絶対に大量の水を携えていくぞ!

しかしながら、どうして素敵な沖縄旅行にならないもんかなぁ・・・

[参考文献]
『神の島の祭りイザイホー』桜井満編
『神を迎える島-イザイホー探訪記』尾崎富義

(2012年9月)

[久高島]
珍度:70%
オススメ度:90%
フェリー時刻表
フェリー乗り場

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コメント

  1. GON より:

    SECRET: 0
    PASS: ec6a6536ca304edf844d1d248a4f08dc
    来月行くので、事前調査タイプにて情報収集中です。
    死なないように水持って行きます。
    78年最後のイザイホーの記録動画見つけたので貼っときます。
    やばいです。エーファイが耳から離れない。
    http://www.kagakueizo.org/create/tokyo-sinemashinsya/108/

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