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【山形】湯殿山系即身仏代表 真如海上人

ミイラ珍スポ訪問録と冠しているにも関わらずまだミイラ関連の記事がございませんでしたので、ここで初のミイラ記事!!
トップを飾るのは湯殿山系即身仏の代表格・真如海上人でございます。


そもそも即身仏ってナニ???
湯殿山系ってナニ??????

という方もきっと多くいらっしゃると思いますので、今回は即身仏の基礎知識学習も兼ねた記事にしたいと思います^o^


素敵な素敵な即身仏の世界に、みなさんもどっぷり浸かりましょう!!!

では即身仏ってナニ??湯殿山系って????

即身仏は、簡単に言うと「自ら土の中に掘った穴に入ってそこで死に、ミイラ化した僧侶」です。

エッなんで自ら死ぬの????
とお思いでしょうが、それは極楽浄土を目指して僧侶の中で自殺が流行った平安時代からの名残と考えられてて、
一応僧侶のみなさんは「即身成仏」をするつもりで穴の中に入っていきました。

でも「即身成仏」ってのは元々穴の中に入って死ぬってことじゃなく、真言宗においては大日如来と一体化して成仏することを指す言葉だったんだけど・・・・・・

なんかながーい歴史の中でみんな勘違いしてしまったようですねえ。

特にかの有名な空海さんが土中に入って即身成仏した!そして空海はまだ生きている!(もちろんこの平成の代でも!)という伝説がまっことしやかに言い伝えられていることから、

「うおおおおおおお俺も空海さんみたいに土中で即身成仏してええええ」
という感じ(かどうかは知らないが)で、真言宗僧侶の中において土中で即身成仏して即身仏になるという究極?成仏が流行ったみたい。

確かに空海には『即身成仏義』という著書があるんだけど、これは前述したように「修行を積めば生身のまま成仏できるぞ」って書いてあるだけで、ミイラになるノウハウが書いてある本じゃないのだ。

んでんで、湯殿山は山形にある出羽三山のひとつですが、ここには信仰対象とされている陰岩があり古来より霊験あらたかな山とされてきました。

で、ここにある真言宗寺院たちが江戸時代に次々と即身仏を世に送り出し(?)、その数は現存即身仏17体のうち8体!更にほかの地域にも湯殿山で修行した僧侶たちの即身仏が現存しており、まさにここは「即身仏のメッカ」なのです!!

これら即身仏となった真言宗・湯殿山の僧侶たちを「湯殿山系即身仏」といいます。


じゃあ即身仏の何がすごいのか??ミイラと一緒なのか???

湯殿山系即身仏のすごさは、なんといっても入定前の修行!!
まず穀物を絶って木の実ぐらいしか口にしない木食行という修行をします。
これでゆるやかな飢餓状態へ。

そして絶食状態になってからの、入水水垢離修行決行!

山形の真冬の川にガリガリ脂肪ゼロの状態で入っていくという水垢離修行・・・・・・考えるだけで寒い!
あまりの寒さに意識を失って川下に流されたなんて話もあるらしいよ・・・もはやロックだわ。マリリンマンソンに教えてあげたいね。

あとは即身仏になったあとの保存状態をよくする為に漆を飲んだり、手に蝋燭を灯したり、上人たちは各々思いつく限りの苦行をしたらしい。

そんだけすごい修行をしたからこそ、今の世も篤い信仰を得ているんですな~。


そしてクライマックスは勿論土中入定!

入定は座った状態で入った木棺を土の中に埋め、そこから息をする為の竹を地上に出すのが一般的。
息絶える時まで鉦を叩き読経をして、外の者たちにまだ生きているということを伝えるのです。

そこから三年三カ月後に掘り出されて、厨子に安置され、祀られて即身仏として完成します。パチパチパチ。


さて、こんな凄まじい修行をするなんて湯殿山の坊さんは大変だな~~とお思いでしょうが、勿論みんながみんな即身仏を目指したわけではありません。

実は即身仏になったのは意外なことに「寺の一番ありがたいお坊さん」ではなく「シャバから逃げてきた身分の低いお坊さん」が多かったりするのです。

即身仏なんて余程の高い志のある偉い人じゃないとなれないんだろうな~~と思いきや、武士を殺した者だったり、元乞食だったり、めくらだったり、寺に逃げ込んできた人ばかり。

しかもその殆どは高齢での土中入定で、わざわざ入定せずとももうすぐ死ぬ(かも)な人たち…。
一説では「即身仏は湯殿山の客寄せパンダだった」とも言われているのです。

こんなこと書いたら怒られそうだけど、つまり衆生からの信仰を集めたい!と思っている寺の意向によって、身分が低くて年取った坊さんを即身仏とする運びとなったのでは?ということ。

実は1630年に出羽三山のひとつである羽黒山の別当となった天宥が、真言宗である湯殿山を取り込んで天台宗へ改宗させ、出羽三山を統一しようとしたという歴史があります。これによって湯殿山と羽黒山は対立し、その対立の中で湯殿山はアピールするように真言宗の寺としてどんどん空海への信仰を強めていったのです。そんな中で生まれたのが湯殿山系即身仏なのでございます。

そんな背景から、自分たちの宗派を守るための気持ちの昂ぶりから即身仏を作るようになった、と一説に言われているのです。

もちろん、宗派を守りたいという思いから純粋に皆の信仰心が高まって即身仏を目指す者が現れたのかもしれないし、もともと身分が低かった上人たちが熱心に仏を信じて修行した成果だとも考えられるけど、実際のところは不明。

まあこれが事実だとしても、実際即身仏は衆生からの信仰を集めまくったわけだし、凄まじい修行を耐え抜いたのは事実なわけだ!!
そしてその即身仏たちに現在も会いに行くことができるなんて、最高じゃないか!!

ということで、そんな「会いに行ける即身仏」一人目のご紹介は、湯殿山は大日坊の真如海上人。
あ、このブログ内では即身仏・ミイラ両方を扱いますのでまとめて「ミイラ」と表記しますが、厳密には全然違うもの!!

ミイラは死後人の手によって防腐処理が施されたものがほとんどだし、お寺によっては即身仏をミイラと呼ぶことに嫌悪感を覚えることもありますので気をつけましょう。


そして
「即身仏とミイラはちがうんじゃい!」
という意識を持ってるのが本日紹介いたしますお寺大日坊。


実はわたしが大日坊を訪れたのはもう10年近く前のこと。
正直あまりよく覚えていないのだが、まずは真如海上人の記事を書きたい!と思ったので無理矢理記憶を引きずりだして書くことにします^q^


真如海上人は元々山形の百姓で、あるとき庄内藩の武士とすれ違った時に上人の担いでいた肥桶の肥が武士にはねかかり、怒った武士と悶着となった末とうとうその武士を殺してしまったのだという。

百姓が武士を殺したからには寺に逃げ込むより他なく、そのまま大日坊で修行することになった真如海上人。

まさにさっき述べた、身分の低い一世行人と呼ばれる僧になったのです。

そして1783年に入定したとき、御年98歳!これは現存即身仏の中で最年長だそう。


まずなぜミイラ記事トップに真如海上人を持ってきたのかというと、それはとにかくわたしが真如海上人ファンだから!!

といいますのも、まずその顔つきね。いけめんだよね。

IMG_053.jpg
これはまさかの真如海上人ラミカです。
ラミカがあるなんて即身仏界のアイドルだろ・・・。
中学生の時に購入して、それからずっと財布の中にいつも鎮座ましております!
即身仏は基本的に撮影禁止ですので、スキャンしましたよ。

このいけめんぶりに加え、防腐処理がゼロっていうのも真如海上人の魅力です。
いくら修行を積んでカラッカラになった即身仏とはいえ、多湿な日本で腐らずにずっと保存されるのは至難の業!!

実際のところ、後世に薬品などによって防腐処理が施されるパターンも多いのです。

でも真如海上人は入定したときのまま!自然乾燥のままなんですわ。
やっぱ自然が一番だぜ!!

あと手つきがいいよね。
入定するときは手を合わせて念仏を唱えながら息絶えていくのですが、
そのときにだらんと下に落ちであろう手がそのときのことを物語っているようでむねあつです。
ちなみにこのへんの詳しい話は貫首さんがくわし~~~くお話ししてくれます!!!

この貫首さんの話もまた大日坊の魅力の一つ。
大日坊の長い歴史や即身仏のこと、すべて熱く!篤く!!喋ってくださるので、超聴く価値あり!

ちなみに「真如海上人は土中入定した後、近所の老女が空気孔に饅頭を詰めたため窒息死した」という話がなんだかとっても有名なんですけど、現在の貫首さんはこれをウソだと一蹴してますよ~。昔の真如海上人研究書にはたいてい載ってるエピソードなんだけど、おかしいな?(笑)

なんといってもずっと好きな真如海上人ですから書きたいことは山ほどあるんですけど、要点をまとめると、

☆真如海上人のココがすごい!!!☆

①顔がいけめん!
②防腐処理一切なし!!入定当時からの姿に会える^o^
③お寺の本気度がスゴイ!貫首さんのトーク拝聴必須!

って感じでしょうか!笑
とにかくわたしゃ皆さんに大日坊に行ってもらいたい!!!
さあみんなで山形へ行こう!!!
わたしもまた近々行きますぞ!


(訪問日:2004年8月)


【総評】
珍レベル:★★☆
おすすめレベル:★★★
即身仏見に行くならまずはココ!!!!
公式サイト
住所:〒997-0531山形県鶴岡市大網字入道11
駐車場あり

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